チョコボに乗りたい

2019.6

 

「ダチョウに乗ってみない?」

 朝食にでてきたフォーを食べているときに、宿泊していたゲストハウスのオーナーが言った。「ダチョウ?」と、ダイニングテーブルに座っていた人が口々に言う。

「楽しいと思うよ、タクシーで行くから――何人かいるといいな」

「ダチョウって、あの鳥のダチョウですか?」

 昨夜、一緒にクラブへ行ったガタイのいい男の子が言った。

「それ以外に何があるんじゃい」

 日本人であるオーナーの素性はよく分からないが、何日か前、夕食の屋台を共にしたときに「世界各国を旅したあとで、たまたまベトナムでゲストハウスを始めた」と自己紹介をしていた。

「でも、どうして行こうと思ったんですか」

「なんとなく。思い出したから」

 なんでも、半年前にゲストハウスに停まっていた人を連れて行くとダチョウが暴れに暴れて、乗った人が振り落とされた挙句に脱臼までしていたので、お蔵入りしていた観光地ということだった。

「他にない場所だから、やっぱ気になってさ――」

 宿泊者で実験しようとするオーナーの人間性を疑った。しかし、次の瞬間には参加者に名乗り出ていた。僕が参加することになると、さっきの男の子と、その彼といい感じになっている女の子が便乗した。

 二足歩行の大型の鳥といえば、「チョコボ」の事を思い出す。

 「チョコボ」とは、ゲーム「ファイナルファンタジー」の世界に出てくる大型の飛べない鳥で、大きな頭と嘴を持ち、主に陸上の乗り物として用いられている、らしい。というのは、そのゲームで遊んだことが無く、小学生の頃に友達が下敷きか何かに描かれたそれを必死に説明してくれて、なんとなく知っている。

 でも、そのとき僕の心を掴んだものは、そのような二足歩行の動物に跨ることの方だった。漫画の世界にありがちな、大きな鳥に跨って大地を移動するその行為に興味があった。地面が蹴られる感覚を肌で感じながら、草原を走る様を夢見た。イメージは無限大である。限りなく広がった夢の中で、僕は「なんとか二足歩行の動物に乗れないものか」と思っていたのだった。

 参加者が出揃うと、オーナーは受付スタッフに頼んでタクシーを配車した。受付には日本語が堪能で料理もできる優秀なベトナム人のスタッフが待機していて、オーナーが毎晩のように滞在者との会食と称してお酒を飲んでいることを不満げに思っている。インスタグラムを眺めながら、そう言った。かくいう彼女たちは、四六時中とにかくスマートフォンを離さない。

 まもなくやってきたタクシーに乗り込んだ。タクシーは市街地を抜けて、ホーチミンの郊外に出た。片側三車線の大きな国道に沿って、新たな鉄道の高架線をつくっていて、田畑しかないこの辺もここ数年で一気に発展していくだろうとオーナーが説明した。

 マッチョの男の子が、昨夜の酒と車で吐きそうになった女の子を揶揄って笑った。聞くと、どちらもちょうど二〇歳らしい。それぞれ関東と関西から来ていた。

「ダチョウに乗るのって、チョコボみたいな感じかな――」

 さりげなく話題にしてみたものの、チョコボはおろか誰もファイナルファンタジーを知らなかった。

 明け方まで飲んでいたアルコールが程よく切れてきて、お気持ちハイになったところで目的地に到着した。看板には現地語の下に英語で「動植物園」と書かれていて、門を潜ると大きなダチョウとワニのモニュメントに出迎えられた。

 正午頃に到着したので、まずは園内のレストランでランチをとった。

 中華料理のようなメニューで、その中でもダチョウ肉の酢鳥は癖が無く美味しかった。昨夜の追い酒に瓶のハイネケンも飲んで、いよいよ調子がでてきた。本当に夢に見ていた二足歩行の動物の背中に乗れるのだと思って、とてもワクワクしていた。

 食後はみんなで園内を見て回った。

 ワニは個体の大きさ別に大きなプールの中で飼われていて、冬の漁港に集まって酸欠に喘ぐボラの大群のように、敷地みっちりとワニだった。そして、腐ったドブ水の匂いが鼻を曲げた。しかし、彼らは下水管でも生きていける生命力を持っている。

「前よりは少なくなったね」

 オーナーが言った。

「前はもっといたんですか?」

「あっちの区画にもいたと思った」

 そういって指差した先には、水の抜かれたプールがあった。

 目を凝らして見ていると、他の奴に噛み切られたのであろう片腕や片足の個体もいて、人間同様に密集して生活することはそれなりに大変そうな印象を持った。他の団体観光客がどこからか魚のブツ切りを持ってきて、ワニに投げ与えてはきゃあきゃあ騒いでいた。もしかしたら、どこかで売っているのかもしれない。

「そうだ。ワニ釣り体験は――」

 ワニ釣りは、数日前に行ったメコンデルタのツアーで体験していた。その時は、こん棒で殴って気絶させた鯰を糸のついた竹竿に結わえて、ワニのいるプールに垂らす遊びである。うまくいけば引き合いになるが、僕の鯰は一瞬で千切れてしまった。どうやらそれは、ここでのベタなアクティビティらしい。売り場を見つけて参加者を募ったが、誰も手を上げないので、そのまま順路を進んだ。

 いよいよダチョウ乗り体験の場所に着いた。簡素な鳥舎と、そこを走るのであろうに囲まれたトラックが設けられていた。雑草の生い茂る地面は堅そうに見える。

 一緒に来た人同士でジャンケンをした。罰ゲームのように順番が決まり、真っ先に負けた僕が最初の挑戦者となった。正直、順番などどうでもよかった。一万ドン札を出してチケットを買い、仏頂面の係員に渡すと、彼は竿竹程の長さの金棒を持って鳥小屋に向かった。程なくして、一羽のダチョウが逃げるようにこちらに向かって走ってきた。なんの変哲もない、ただのダチョウだった。

 初めは久しぶりに対面したダチョウの大きさに圧倒されて、かつての夢が実現しそうなことに感動さえ覚えた。だが、柵を潜って間近に見たそれは、背中の羽毛が剥げて鳥肌が見え、掴む場所であろう羽根の付け根が奇妙に曲がり、痛々しい姿をしていた。そして、これから僕はそれに乗るのだという事実をはっきり認識したとき、それまで自分が持っていた人間として真っ当な欲望を心底恨んだ。

 いつの間にかギャラリーも集まって、見慣れない光景に好奇な眼差しを向けていた。傍にいた中国人観光客は見世物を撮るようにスマートフォンのカメラを僕に向けていた。居心地が悪い。

 貧相な木の台に登って、今にももげそうな羽根の付け根を掴み、ダチョウに跨った。振り落とされないよう足でしっかりホールドするよう、係員に指図される。座る位置が定まらずにもぞもぞ動いていると乱暴に服を引っ張られ、背というよりは尾てい骨の辺りに腰を落ち着かせられた。自転車でウィリー走行するように重心が後ろに寄って、ダチョウの姿勢が高くなった。それがここでの乗鳥スタイルらしい。

 間もなく鳥舎のゲートが開いた。なかなか走り出さないダチョウに係員がさっきの金棒を振りかざした瞬間、まるでドラッグレースの車のように全速力で走り出した。突然の加速Gに負けじと、しっかり羽根を掴む。地面を蹴る感触が鳥の筋肉と背中から直接に伝わって、その生々しさに背筋がゾクッとした。

 見る間に向こう側のコンクリートの壁が近づいてきた。気持ちの準備する間もなく、ダチョウは突然左にターンした。遠心力でそのまま外側へ振り落とされそうになったが、羽根をいっそう強く掴むことでなんとか持ちこたえる。当たったら痛そうだった。もちろんヘルメットなどしていない。

 乗り場に向かって、尚もダチョウは走り続けた。ここが草原だったらどんなによかったかと思う。乗馬するように手綱や鞍がほしい。人に手懐けられていて、乗り物として乗りやすく、簡単に停まったり曲がったりできたらよかった。でも、ここは海外旅行で訪れた観光客には少し奇妙に見える国内向けのテーマパークで、ダチョウはジェットコースターと同じく、人を楽しませるためのただのアトラクションだった。いくら嘴で突かれ足早に逃げられようが、その背中に乗ってみたいと憧れる猛者はいつの時代にもいたに違いない。でも「乗鳥」というジャンルが生まれなかったのは、そもそも鳥の背中は乗るのには適していないからだった。人間にも、鳥にとっても。

 鳥舎に戻り、後ろ向きのまま滑り台を降りるように地上へ着地すると、無心に乗っているときには気にもしなかった周りの声が聞こえた。口々に感想を言っているようだった。中国人観光客には拍手もされた。手にはボロボロになった羽毛のカスがついていた。ジーンズについていたそれも誰からか指摘されて手で払うと、チリとして風に運ばれていった。つい今まで僕が乗ってきてゼーゼー言っているダチョウに、次の挑戦者が跨る。

 インスタグラムに上げるための動画を撮っていたオーナーが「なんだか今日のヤツは元気ないね」と言った。前回来たときのダチョウはもっと破天荒に暴れ、係員も人を乗せるのに苦戦していたという。

「安いし、もう一回乗っとく?」

 オーナーに訊かれ、「ええ」と間抜けな返事をした。一万ドン、日本円でおよそ五〇円。確かに安いが。

 茫然と他の人がダチョウに乗るのを眺めていた。ホーチミンの三月は真夏で、その日は三〇度を優に超えていた。昨夜の残り酒とランチの追い酒でハイになっていた時間も過ぎて、真っ当な疲れも感じ始めていた。喉の奥がへばりつくような感じがして、ふらふらと近くの売店に歩いて飲み物を買った。適当に選んだココナツの缶ジュースはとてつもなく甘く、味覚がそう判断していることに少しだけほっとした。