ゴロワーズを吸ったことがあるかい?

 その日はDJの友人がイベントに出演するので、渋谷にあるクラブの扉を開けていた。チャージを払ってビールを受け取ると、友人に肩を叩かれた。久々の再会を喜んで乾杯し、そしてお互いの近況と最近聴いた音楽の話をする。

 彼の出番にはフロアに出て踊った。ジャンル違いなDJとの入れ替えだったので、それまでいた人が引いて僕ともうひとりになっていたが、そんなことはお構いなしにむしろ空間を広々と使ってはしゃいだ。彼もまたそんなアウェーな状況に構わず、いつものように切れのいいカットインで曲を繋ぐ。

 ハイネケンの缶を片手にゆれていたときに、彼の選んだ一曲が気になった。多分、どこかで聴いたことがあったのだろう。特徴ある歌詞に覚えがあったものの、タイトルを知らない。

――気になった曲があったら、直接DJに訊くといい。

 昔行ったイベントで、誰かにそう教わったことがある。

「どうしてですか?」

 そのとき僕はスマートフォンのアプリを使って曲を調べていた。それは精度のいい楽曲検索アプリで、マイクで拾った曲のタイトルを検索してくれる。

「それがきっかけで面白いことが始まるかもしれないからね」

 いいからとにかく話しかけてみなさい。その人はそう言うとダンスフロアに戻っていった。こんな便利なものがあるのにと思いつつ、その言葉が妙に引っかかった。おまけにアプリの検索にも引っかからない。

 勇気を出してさっき曲をかけていたDJに話しかけた。曲のことを訊ねると嬉々としてタイトルだけではなく、曲の背景やらレコードを手に入れたときのことも教えてくれた。一般にはレコードディガーとも呼ばれるある種のDJは、自分がその日かけた曲について訊かれると嬉しくなる人種であるらしい。そのまま会話が続いて、若者だからとお酒も奢ってもらい、その人の二周目の出番では会話のなかで出た僕の好きな曲までかけてくれた。楽しくなってブースの前ではしゃいでいた僕と目が合うと、忙しなく機材のつまみを動かしていた手を止めてピースを返した。教えてもらった曲のタイトルは結局忘れてしまったが、その楽しい一夜を過ごして以来、気になった曲はなるべくその場で直接DJへ訊くことにしている。

 出番の終わった友人に曲のことを訊くと、揚々とバッグからレコードを取り出してきて見せてくれた。彼はそういう昔のお洒落ポップスにやたら詳しい。かまやつひろしという人の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」という曲だった。曰く、ドーナツ盤のB面に収録されて長らく忘れ去られていたが、あるきっかけで再評価されて以来、彼の代表曲のひとつのようになっている。レコードのジャケットを見ると全く違うタイトルで、その曲のタイトルは隅に小さく書かれていた。ゴロワーズとは、そういう煙草の銘柄なのだろう。

ゴロワーズって、吸ったことある?」

 僕はなんとなく聞いてみた。

「ないね、見たこともない」

 そして、続ける。

「たぶん、この曲のゴロワーズはハッパのことを言ってて、そういうトリップするものを吸ったことがあるか、という内容なんだと思う」

 そういうと、彼は自分の煙草に火を点けた。黒いマルボロだった。僕はスマートフォンのメモに、タイトルを記録する。ゴロワーズを吸ったことがあるかい。こういう会話で出たことは、たいてい家に帰ると忘れてしまうので、マメにメモするようにしている。こうして「そんなこと、知ってどうする」といった余計な知識ばかりが増えていく。

 イベントが終わって友人と別れたあと、終電近くの中央線に乗って帰った。今日は寝過ごして高尾まで行ってしまうことはないだろう。最寄りの駅に着く頃に決まって喉が渇いて、ペットボトルのお茶を買いにコンビニへ立ち寄るところまで想像がついた。

 いつものようにコンビニへ立ち寄ってお茶を持ってレジに立った時、さっき煙草が話題になったことも、お酒が入っていたこともあったかもしれない、初めて店員の後ろに並んだ巨大な煙草のケースを意識した。煙草を吸ってみよう。そう思った。

 そこには、とにかく沢山の煙草が並んでいたが、ざっと見てゴロワーズは無さそうだった。無くなってしまったか、きっと珍しい銘柄なのだろう。そう色々と思案していると、不審だったのか怪訝そうな顔で店員がこちらを見ている。

 後ろに人が並んだので、慌てて目に入った銘柄を指した。「KOOL」という名前のものだった。緑色の箱だからメンソールなのだろう。五ミリグラムの表記があった。何がどう五ミリグラムなのかは知らないが、以前友達から貰って吸ったことのある「赤マル」や「ゴールデンバット」よりは少ないらしい。片言の「こちらでよろしいでしょうか」との確認に頷いた。肌の黒い外国人の店員は慣れた手つきでバーコードを読み取って、僕の顔をちらりと見ると、画面に表示されていた本当ならば客側が押さなければならない年齢確認ボタンを、レジの内側から手を伸ばして押した。

「はい、四五〇円」

 ライターを持っていなかったことを思い出して「ちょっと待って」と言って取りに行くと、嫌そうに「後ろに並んでいるので」と付け加えた。

 会計を済ませて店を出た。律儀に入れられた袋はとても軽い。中身は干し草なのだから、当たり前なのだが。胸ポケットに仕舞うと、ふと昔いたサークルの先輩のことを思い出して懐かしくなった。

 その先輩は出会ったときからとてつもない雰囲気を持っていた。大柄な体格や落ち着いた話し方も相まってバンドサークル界隈のドンさながらだったが、しかし権力はないので、現役でサークルを動かしているメンバーを微笑ましく眺めている。

 その先輩は当時、大学四年目にして一年生と二年生を一回ずつ繰り返していた。そのことを本人は全く気にとめていないようで、僕が「授業はどうしたんですか」と余計な世話を焼くと、必ず「さぼった」か「寝坊した」と言った。ギターもベースも弾けて、そのうえドラムも叩けるので、いくつものバンドを大学内外で掛け持っている。最近、よく警察に職務質問をされるという話を聞きながら家へ遊びに行くと、部屋にシーシャの器具と海外産の煙草の葉があった。とにかく色々と曰く付きの人である。

 大学のバンドサークルというのは、コピーバンドを組み内輪ライブを企画して仲間と遊ぶことがルールの集まりである。しかし、僕はといえば内心でそういうのを馬鹿にしていた。理屈っぽく音楽やカルチャーの話をすることが好きな一方で、生産性のない非合理的な集団はクソだと決めつけていたので、サークルに染まっていく同期にはまるで馴染めず、しかしサークルを抜けてひとりになることもできずに、全く面白くないバンドを組んでは下手くそなギターを弾いていた。

 サークルの活動拠点の前には灰皿スタンドが置かれていて、世知辛いまでに数少なくなった大学構内の喫煙所に指定されていた。先輩はたいてい、その喫煙所となっている場所で、遠くを虚ろに眺めながら煙草を吸っている。銘柄はまちまちで、あるときそれについて訊くと、煙草なんてただ吸えればいいのだと言った。煙草に飽きると決まって立てかけていたギターを持って、ヘッドと弦との間に吸いかけの煙草を差しこんだ。先輩の持っていたギターは、どれを見てもそこだけ茶色く焼け焦げている。このようにしているのはエリック・クラプトンの真似事だと、あるとき教えてくれた。

 話しているといつも、決まって誰それの曲がどうとかいう話題になった。話が弾んでくると、その辺に転がっていたアコースティックギターを抱えて、そのまま話題に出た曲をセッションと称して演奏をする。ギターが下手くそな僕は、コードをなぞって弾くことしかできない。それで先輩はいつも適当にリードギターを弾いて乗ってきた。日によってそれが打楽器になったり、ベースになったりもした。思えば自分こそ、生産性のない非合理的な学生の時間を過ごしている。

 その先輩から時々「一本やるわ」と煙草を貰うことがあった。たいてい話題がなくなったときで、僕はとりあえず言葉に従って貰うものの、いつもタイミングを見計らって胸ポケットに仕舞っていた。当時は未成年だったが、それ以上に勇気がなかった。「吸わんのかい」といつも笑われたが、強引に吸わされることはなかった。ポケットに入れていることを忘れたまま家に帰って、そのまま洗濯機で服を洗っては頭を抱えた。

 例えばここで先輩と一緒に煙草を吸っていたら、もう少しサークルの雰囲気に馴染めたのかと思ったりする。同期もいつの間にかどこかで手に入れた煙草を吸っていた。今から思えば、煙草もサークルの一要素だったのだ。しかし結局、煙草を吸うことはなくサークルからフェードアウトした。斜に構えた態度が鼻についたのかもしれない、活発に活動していた別な先輩を中心に、ツイッターに悪口が書かれた。そのことは仲の良い友人から教えてもらった。でも、そうなった頃にはすでに足が遠のきかけていた。そもそもバンドを組んで遊ぶことに興味がなかったのだ。早々とそれまで組んでいたバンドを抜けて、グループラインを退会し、知人にギターを売った。付き合う人が変わるにつれて、コードの押さえ方も忘れて、先輩のことも忘れていった。

 それでもしばらくは、大学で会ったかつてのサークルの知人から先輩のことを聞くことがあった。相変わらず授業にも出ず、忘れた頃に現れては煙草を吸っていると言った。その後は知らない。最後に聞いた話のようでは、卒業にはもう少し時間がかかりそうな感じだった。

 次の日、遅めの大学の講義から帰ってきて洗い終わった洗濯物を取り出したときに、ふと下駄箱の上に置かれた煙草の箱が目に入った。昨夜は帰ってきてシャワーを浴びると、すぐに床に就いていた。

 ラッピングを取って、換気扇をつけた台所で煙草に火をつけた。口に咥えるとライターの距離感が分からないので、ライターと煙草をそれぞれ手に持って火をつけた。それから見真似で吸ってみるも、肺に入れることができず口に煙を溜めてしまうので、早々水に濡らして消した。

 その次の日の夜はベランダに立った。煙草は口に咥えて、手を当ててライターの火をつける。相変わらず距離感を測るのが難しかったが火はついた。肺に入れるのだと意識すると、胸元に熱い空気が入ってくるのを感じた。喉にハッカのスーッとした感じが残って、それがすごく心地いい。しかし次の瞬間には、咽かえってしまった。もう一度体験したいがためにその夜は三本吸って、しかし同じように咽かえった。次の日も同じように吸ったが、咽ることがなくなった。本数を重ねるごとに、煙草を吸う行為に上達した。お酒と一緒で、慣れがあるのかもしれない。手に持った煙草を写真に撮ってツイッターに上げると、誰かからの”いいね”がついた。

 ベランダの欄干に寄って煙草を吸っていると、中学生の頃に仲良くしていた、髪の毛と自転車のハンドルを立てた友達を思い出した。テスト期間で早帰りした日。早々勉強に飽きて散歩していると、自転車に乗った彼がホーンのラッパをぱふぱふ鳴らして現れて、自慢げに「俺、タバコ買えるんだぜ」と言う。半信半疑でコンビニへついて行くと、僕の目の前でセブンスターを買った。店員として立っていたのは彼の知り合いだったらしく、仲良く手を振って店をあとにした。

 たいていの授業中、彼は寝ているかどこかへ消えた。上級生の卒業式には髪の毛をオレンジ色に染めて現れ、校舎に向けてロケット花火を打ち上げた。先生やクラスメートは扱いに困っていたが、彼は彼でまた友達がいなかった。

 一方で、転校生だった僕もまた友達がおらず、色々な仲間グループを転々として付き合っていた。新興住宅地の中にある新しめのマンモス校から、田圃に囲まれた古く小さな学校への転校。初めは物珍しさから歓迎されたが、どこにも馴染めず次第に孤立していった。馴染むにはその土地の文脈を理解してなぞる必要があることを知った。

 コンビニから少し歩いたところの、大きめの用水路にかけられた橋の上に立った。この用水路は梅雨の時期に鯰の群れが、秋には本流から間違って入ってきた死にかけの鮭が泳いでいるのが見えて、あるときはそれらに向けて石を投げて遊んだ。

 彼はクラスの誰それが喧嘩して仲が悪いとか、誰かが付き合って別れたといった話を教えてくれる。普段教室にいない割には、そういった話にやたら詳しいのだった。そういうクラスの情勢を、紙パックのいちご牛乳を片手に聞いている。彼は煙草を吸い終わると、決まって橋の下を流れる川に投げた。吸殻は一瞬で流れていき、すぐに見えなくなった。

「吸うか?」

 そう言って差し出された煙草を一瞬手に取って、そのまま彼に返した。

「やめとく」

 そう僕が言うと、彼は詰まらなそうな顔をして、返したばかりの煙草を口にくわえて火をつけた。

「ああ、まあサボリだもんな」

 その友達に比べて幾分か優等生じみていた僕は、時々彼のアヴァンギャルドな遊びや悪戯の提案を断った。そのたびに彼は、半ば諦めたようにそう言って納得するのだった。

 今、その彼と同じように次の煙草に火を点けている。箱の半分も空けると、煙を肺に入れることに慣れて、短くなるまでゆっくり吸うことができるようになっていた。しかし、本数を重ねるごとに自分がいかに煙草へ興味がないかということも分かってきた。吸っていたメンソール煙草は、それ以上にもそれ以外でもなかった。ただ今は、あらゆる煙草を吸っていた人の姿を思い出しては、煙に引き出された記憶の地点に思いを馳せている。

 吸っていた煙草が短くなってきた。そのまま下に投げ捨てようとして思いとどまる。欄干の下は川ではなく建物の屋上だった。僕は今、東京の大学に進学した際に借りた、オートロック付きワンルームマンションのベランダにいた。

――ああ、まあサボリだもんな。

 記憶の彼がそう言う。あのときは橋の上で、諦めたように納得してくれた。彼の言うとおり、各々が立っているところでやっていくしかないのだ。その辺に転がっていた空き缶に吸殻を突っ込んだ。誰かが家に遊びに来て煙草を吸って以来、そこで放置されていたのだろう。いずれまた使うと思い、エアコンの室外機の上に置いて部屋に戻った。

 その週末、ジムでトレーニングをしていた。虚弱体質を改善したいがために登録して、暇があれば通っていた。肉付きがよくなり体重も上がってくると楽しくなって、自分で考えたメニューをこなすことが習慣となっていた。

 しかし、その日も普段のように何セット目かのウェイトをあげたとき、突然胸に激痛が走った。汗とともに身体が一瞬で冷えて、息をすることも辛い。朦朧とした意識で移動して、なんとかマットへ横になる。しばらくすると痛みは引いて立ち上がれるようになったものの、帰り道は歩いているだけで息が切れて、そのたびに膝に手をついて休まなければいけなかった。

 ただ、痛みに覚えがあった。なんとか歩いて行った病院でレントゲンを撮ると、左側の肺がぺしゃんこに潰れている。

「よく、これで歩いてきたね」

 レントゲン写真を見た医師が笑った。肺気胸の診断が下り、施術室で脇からドレーンが差し込まれ、病室に寝かせられた。煙草とスキューバダイビングはドクターストップ、退院後しばらくは気圧が変化するようなところに行くことも禁止。そのうえ、二度開いた穴は手術になり大学病院の紹介状まで貰った。至れり尽くせりだ。

 一夜明けて、遠くに暮らす両親が見舞いに来た。「入院することになった」と電話すると一応は驚いていたが、肺気胸自体は二度目なので、あまり心配されていない。

「おー。弱ってるぅ」

 病室の僕をみた父が、檻に入れられた動物を見るかのようにして笑った。

 家に着替えを取りに行くというので自室の合鍵を渡して任せると、勝手に冷蔵庫を開けては「ろくなものを食べてないね」といい、「部屋が臭い」やら「汚い」などと、聞いてもいない平均的な男子大学生の部屋の感想を電話口で述べるのだった。入院の書類に必要な印鑑の場所を教えたところ、そこに置いていた予備の合鍵も見つかった。バイクが趣味の父は、それに乗って遠方へ旅行する際によく息子や娘の自宅を拠点に寝泊まりする。本当ならば高級旅館に行って優雅に生活してほしいのだが、友達の家で雑魚寝して寝泊りする大学生の気分が抜けない。

「――あと、煙草はやめなさい」

 電話の切り際、厳しめな口調で母が言った。煙草と肺気胸の関係もうるさく言われた。神経質な母とは相性が悪く、実家にいた頃からよく口論になる。しかし、こちらも多少は大人になったので、母とはそういうものだと諦めて素直に受け流す。

「そうだね、そうする」

 そう言って電話を切ったあとで、読みかけた本の世界に戻った。

 その日の午後は診察も予定もなかった。スマートフォンツイッターをチェックするとDJの友人が次に出演するイベントの告知を出していて、僕はそれに”いいね”をつけた。退院して今度そのイベントで会ったときには、この前のイベントでの選曲は、肺に穴が開いてしまうくらいすごかったと話題にしようと思った。